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書評

Bruce Caldwell, Hayek’s Challenge: An Intellectual Biography of F.A. Hayek,

Chicago: University of Chicago Press, 2004. (xi+489pp.)

『経済学史研究』(旧「経済学史年報」)47-1, 2005.6. 115-117

橋本努

 

ブルース・コールドウェルに対して、私は特別の思い入れがある。学部生の時分、私はたまたま、彼の処女作『実証主義を超えて:20世紀の経済学方法論』(1982)の邦訳を図書館で見つけて読み、そしてその読書経験が一つのキッカケとなって、その後の私の進路(つまり大学院進学)が方向づけられたからである。おそらく当時の近代経済学の方法論研究は、マルクス経済学のそれと比べてあまり水準が高くなかったように思われるが、しかしコールドウェルはそうした状況を打ち破るかたちで、包括的かつ周到な研究成果を示していた。その内容に私は驚嘆し、結果として私は、この本を手掛かりにオーストリア学派の研究をはじめたのであった。

そのコールドウェルの近著『ハイエクの挑戦:ハイエクの学問的な伝記』が2004年に出たということで、私はさっそく、外書講読の時間に学生たちと読んだ。学部生の視点に立って評価してみると、本書の文章は、とくに前半の歴史記述においてレトリックに過剰であるが、後半の分析的な部分は読みやすい。やはりコールドウェルの思考は分析的な事柄に向いているということであろうか。いずれにせよ本書は、包括的に調べ上げられた渾身のハイエク研究であり、これだけの伝記を書き上げるためには、おそらくハイエクと共に心中するだけの覚悟と思い入れがあったに違いない。実際、コールドウェルがポストドクターの課程を終えたのは、ニューヨーク大学におけるオーストリア学派のプログラムにおいてであった。彼の処女作はオーストリア学派の研究者たちとの交流の中で書き上げられており、またそうした経験が下地となって、本書『ハイエクの挑戦』が生みだされている。

コールドウェルがニューヨークに滞在していた頃、あるとき彼はジェリー・オドリスコルにこう尋ねられたという。「ねえ、君はハチソンがいうハイエクの(方法論的)Uターンをどう思う?」。「ハイエクのUターン」とは、学説史上の一つの謎解きとなっているテーマであるが、コールドウェルはオドリスコルに紹介されたこの謎解きをキッカケにして、次第にハイエク研究に入りこんでいったという。実はこの謎解き、私がハイエク研究に入ったキッカケと同じである。

 本書『ハイエクの挑戦』が面白いのは、自らをオーストリア学派の学問伝統の中に位置づけるコールドウェルが、この学派の遺産を再構成するかたちで、一つの研究伝統なるものをうちたてようとしている点にあるだろう。コールドウェルによれば、ハイエクは同時代の知識人たちに対してまったく同調しない政治的立場に立ち、さまざまな批判に直面していたという。例えばハイエクは、社会主義やケインズ主義的福祉国家というものが、まさに「中道路線」として多くの人々の共感を得ていたときに、これを攻撃した。またハイエクは、ミーゼスと共に主流派の経済学に反対し、オーストリア学派経済学の伝統のなかで研究活動をしていた。さらにハイエクは、『感覚秩序』の研究によって、その後の法-政治思想研究を自ら方向づけている。コールドウェルはこうした挑戦的な知の営みを丹念に再構成することによって、もう一人のハイエクの伝記作家、アラン・エーベンシュテインの描く人生論とは別の、知性史的な伝記を提示することに成功している。

 三部構成からなる本書の内容を、ざっと紹介してみよう。第一部「オーストリア学派とその敵――歴史学派、社会主義者、実証主義者」では、メンガーからマックス・ウェーバー、そして実証主義者たちに至る流れを再構成するかたちで、ハイエクというよりも、オーストリア学派のアプローチ全体の歴史的理解を得ることが目指されている。ハプスブルク帝国が崩壊の危機に晒されるという状況の中で、ベーム=バヴェルクのゼミに多くのすぐれた経済学者たちが集まり、そのなかで形成されていったオーストリア学派の論争状況が、詳細に描かれる。とりわけ、シュモラーやノイラートに焦点を当てて論じているところに、本書の新味があるだろう。

「ハイエクの旅」と題される第二部では、ハイエクの精神史的な旅が、さまざまな「パズル解き」の連続として描かれる。例えば、ハイパーインフレーションや市場経済の理論的記述の問題、あるいは、「理性の驕り」という啓蒙理性の問題、資本主義と社会主義の体制選択問題、社会制度の自生的進化、個人主義と感覚秩序の問題などの諸テーマが、包括的に論じられる。ハイエクの研究活動において特筆すべきは、彼がいずれの問題を論じるときにおいても、明確な「論敵」を想定していたという点である。しかもその論敵たちはすべて、自らが「本当の」科学を営んでいると主張していた。コールドウェルによれば、ハイエクにとって終極的なパズルとは、論敵がいうところの科学の「科学性」を暴くことであり、また、「科学とは何か、それは擬似科学といかにして区別されるか」というカール・ポパーと同様の問いであった。本書においてコールドウェルは、方法論に関するハイエクの見解の発展に焦点を当てて、ハイエクの経済学、政治理論、心理学などにおける知見全体を再構成しているが、まさにこの再構成の仕方において、方法論研究家である著者の腕前が発揮されている。

 本書の終着点となる第三部「ハイエクの挑戦」は、二つの章からなる比較的短い部分であり、著者はここで「旅の終わり――ハイエクの多様な遺産」と「エピローグ:21世紀の経済学」について自由に語っている。しかし、その結論は残念ながら凡庸なものであり、また、気の滅入るような結びとなっている。

処女作『実証主義を超えて』においてコールドウェルは、方法論上の折衷主義者マハループに新たな可能性を見出していた。しかしコールドウェルがその後たどった道は、マハループ的な経済学を発展させることではなく、オーストリア学派の学説史研究へと退却することであった。確かにコールドウェルが批判した意味での「実証主義」は衰退したが、しかしその後の主流派経済学は、実証主義を別の方向に、すなわち、検証や反証が不可能な基礎理論の拡張に向かっており、その研究方針はいまだに勢力を衰えさせていない。これに対して、アメリカにおける経済思想史研究は、学部における講座数が減少し、脇に追いやられているという。こうした状況に直面してコールドウェルは、もはや「実証主義=主流派を超えて新たな経済学を発展させる」というのではなく、学説史と方法論による自己反省を失った現代経済学の趨勢を嘆きつつ、他方ではハイエクの遺産というものが、制度論や進化論などと融合した相関的研究へ継承されていることを紹介するにとどまっている。またコールドウェルは、現代の著名な経済哲学者たち(ローソン、ローゼンバーグ、ハウズマン、マクロスキーなど)はすべて、主流派の実証主義経済学に警鐘を鳴らしている点でハイエクの遺産を継承しているという。つまりコールドウェルは、経済哲学者たちの多様な貢献を、「歴史+方法論」対「主流派=実証主義」という対立図式のなかに位置づけて、「歴史+方法論」派は少数の対抗者であるがゆえに、ハイエクを継承する連帯感と同業者意識をもちうると期待するのである。

なるほど、「多様な少数派が対抗と展望において連帯意識をもつ」というのは、一つの真理であるだろう。また本書においてコールドウェルは、ハイエクを少数派対抗組の祖として位置づけることに成功している。しかし本書の最後に論じられているのは、「方法論と思想史研究の終焉」という自己否定的なテーマであり、著者は自らの研究分野の将来について悲観的である。そしてある意味でこの後ろ向きの悲観が、ハイエクを教祖化する伝記的記述に手を貸しているようにみえるのである。